さんがさい
算賀祭
 算賀祭は東大寺の僧正が天平12年(740年)聖武天皇40歳の御齢をお祝い申し上げたのが最初です。算賀は40歳を「初老」といって祝うのが初めで、その後10年ごとに「五十(いそじ)の賀」「六十(むそじ)の賀」ときて、70歳を「古稀(こき)の賀」といいます。古稀の語は「人生七十古来稀なり」という中国の詩人杜甫の詩から出ています。次いで80、90,100歳と順次祝うのです。
 年を祝う風習はこのように古く奈良時代に発しています。平安時代になると10年ごとの祝いだけに留まらずに、中間の端数をも祝うようになってきました。つまり61歳を「還暦」、77歳を「喜寿」、88歳を「米寿」、99歳を「白寿」と称してそれぞれの年を祝うようになりました。
 この風習は室町の末頃から始まって現代に及んでいます。これらの祝いは、この年齢に達した人自らが親戚知人を招いて年来の恩顧を感謝し祝宴を開く場合と、その子供や親族、友人門弟などが発起人となってその長老を主賓にして祝う場合とがあります。