源氏物語 若菜下
 [第二段 紫の上、三十七歳の厄年] かやうの筋も、今はまたおとなおとなしく、宮たちの御扱ひなど、取りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくたどたどしきこ混じらず、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は、世に久しからぬ例もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ。  さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに、取り集め足らひたることは、まことにたぐひあらじとのみ思ひきこえたまへり。今年は三十七にぞなりたまふ。見たてまつりたまひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、 「さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみたまへ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬこともあらむを、なほ、思しめぐらして、大きなることどももしたまはば、おのづからせさせてむ。故僧都のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。おほかたにてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」 などのたひ出づ。
 現代口語訳
 [第二段 紫の上、三十七歳の厄年] こういった音楽方面のことも、今はまた年輩者らしく、若宮たちのお世話などを、引き受けなさっている様子も、至らないところなく、すべて何事につけても、非難されるような行き届かないところなく、世にもまれなご様子の方なので、まことにこのように何から何までそなわっていらっしゃる方は、長生きしない例もあるというのでと、不吉なまでにお思い申し上げなさる。  いろりろな人の有様を多く御覧になっているために、何から何まで揃っている点では、本当に例があるまいと心底からお思い申し上げていらっしゃった。今年は、三十七歳におなりである。一緒にお暮らし申されてからの年月のことなどを、しみじみとお思い出しなさったついでに、 「しかるべきご祈?など、いつもの年よりも特別にして、今年はご用心なさい。何かと忙しくばかりあって、考えつかないことがあるだろうから、やはり、あれこれとお思いめぐらしになって、大がかりな仏事を催しなさるなら、わたしの方でさせていただこう。僧都が亡くなってしまわれたことが、たいそう残念なことだ。一通りのお願いをするのにつけても、たいそう立派な方であったのに」 などとおっしゃる。